浅葉のワーフリ日誌04:あの日の天井

 目を開けると、白い部屋の中にいた。白い壁、白い床、白い天井に囲まれている。四方を見回してみたが、ドアらしきものはどこにもない。今自分のいる場所が完全な密室であることを理解するのにそう時間はかからなかった。一瞬、空気が薄くなったように感じたが、深呼吸すると澄んだ空気が身体へと満ちていくのを感じる。そしてその深呼吸は、僕に幾分かの冷静さを取り戻させてくれた。
空気の澄み切った、ドアのない密室というのは非現実的だ。そのうえ脱出経路も侵入経路もないときたら、この状況が疑わしい。素早く思考の石を積み上げ、今僕が置かれている状況は夢なのだと判断を下した瞬間、目の前に虹色の玉が音もなく、突然現れた。

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虹色に光るという表現が適切かどうかはわからないが、玉は光を強めたり、弱めたりしながら、複雑な光を放っている。赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫、瞬間ごとにさまざまな光り方を見せる。その虹色の光を眺めていると、ぐわっと血管が膨張していくような感覚が訪れる。そして、どんな機材も存在しないその部屋に、聞きなれたあの――スマートフォンゲーム『ワールドフリッパー』の曲が聞こえてきた。そうだ、この虹色の玉は、『ワールドフリッパー』のガチャの中で最高レアを示す、だれもが焦がれてやまない存在だ。スマートフォンの上でずっと見てきた虹色の玉が、立体感を帯びて僕の目の前に浮遊している。触りたい。衝動的な感情を抑えきれず、一歩を踏み出した瞬間、声が聞こえてきた。

あなたの――。声は天からでも、地からでもなく、虹色の玉から発せられていた。最初こそ驚いたが、白い部屋も、虹色に光る玉も、突如聞こえてきた声も、すべては夢なのだと自分に言い聞かせる。

 

「あなたのワーフリブログを読みました」

 

虹色の玉の声は、絶妙な音量で僕の耳を揺らした。ありがとうございます、と素直にお礼を言った僕の余裕は、続く虹色の玉の言葉にひっくり返された。

 

「私はあなたと和やかに話をしようとしているのではありません。あなたのワーフリブログでは、ガチャや課金の話ばかりしていますね。ブログでは、JINKENや天井といった、非常にあやうい言葉が何度も使われています。こうした言葉の影響力はあなたが思っている以上で、気づかないうちに自身をも追いつめている」

JINKENと天井。確かに僕は、その言葉に取りつかれている。JINKENとは、スマートフォンゲームの攻略において重要な役割を占めるゲームキャラクターのことだ。JINKENなくして快適なゲームプレイなし。スマートフォンゲームにおいて、『ワーフリ』において、JINKENを持たずに遊ぶことは、砂漠を水なしで歩くことに似て、そのうち倒れる。JINKENを含むゲーム内キャラクターの入手は、ガチャという残酷なシステムに託されている。ゲーム内のお金とでもいうべきリソースをガチャに投入すると、くじ引きが行われキャラクターが排出される。最高レアの確率は5%。JINKENは最高レアが出たうえで、そこから抽選で得られる希少な存在なのでさらに入手するのが難しい。ゲーム運営側から施される無料ガチャチケットや、無料ガチャ石で入手できる幸運な者もいれば、1万円課金しようが、5万円課金しようが出ない不幸な者もいる。しかし、この不幸は、天井というシステムによって裏返すことができる。9万円まで課金すると発動する天井システムは、好きなキャラクターを1体だけ確実に入手できるという救済措置なのだ。

「僕はJINKENと天井を否定しているのでも、煽っているのでもない。うまく付き合って『ワーフリ』を効率的に、楽しく遊ぼうということを伝えたいんだよ」

 

「本当に、そうなのでしょうか」

 

「何が言いたいんだ!」
 

「それではお尋ねしますが、あなたが考える、『ワーフリ』のJINKENキャラクターとは誰なのでしょうか。具体的なキャラクター名を挙げてください」

「アニバーサリーレジスと、クリスマスビアンカです」

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馬鹿げた会話だと感じながら、僕は脊髄反射的に2人のキャラクターの名前を挙げた。

「なるほど。アニバーサリーレジスとクリスマスビアンカは、自分の属性以外でも活躍するシーンがあるため、確かに重要なキャラクターですね。あなたはどのようなパーティでこの2人を活かしていますか」

体の中でガラスが割れるような痛みが突如訪れた。

「……」

「パーティを思い出せませんか」

 

無言。

 

「あなたはどのようなパーティで、アニバーサリーレジスとクリスマスビアンカを運用しているのですか」

「僕は……、その2人を……。持っていないッ……」

 

「今、なんと……。もう一度お願いします」

「僕は、アニバーサリーレジスと、クリスマスビアンカを持っていない!」


そう言い終えた瞬間、僕の口から銀の玉のようなものがぼろぼろと零れ落ちた。『ワールドフリッパー』のガチャで、虹色の玉以上に見てきた、時に僕を落胆させてきたあの玉。それは、ガチャのハズレを意味する玉だった。僕の口からこぼれた銀の玉は、白い床の上に転がり、ぶつかりあい、四方八方へと散っていく。玉のぶつかりあいが落ち着き、部屋が完全な静寂を取り戻した頃、また虹色の玉から声が聞こえた。

「あなたは、あれだけブログで、JINKEN、天井について語っていながら、自らJINKENというアニバーサリーレジスとクリスマスビアンカを持っていないのですね。つまり、あなたは、JINKENを天井したことがない。では、あなたの天井は何に使われたのでしょう。まさか、天井をしたことがないのに、天井について雄弁に語っていたのではないでしょうね」

 

それまで穏やかだった虹色の玉から発せられる声が、急に熱を帯びた。それまではほとんど感情が読み取れなかった声から、明らかな怒りが乗った声に変化している。

「天井は……、過去に3度しています」

「アニバーサリーレジスとクリスマスビアンカを天井せずに、だれを天井したというのですか。3度の天井について、順に答えなさい」

「一人目は……、水着アリスです」

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「なぜ、水着アリスを天井で取得したのでしょうか。実装当時は強いと騒がれたことはなかったはずですが。あなたはこのキャラクターをJINKENだと判断したのですか」

 

「ええ。確かに実装当時の評価は微妙でした。しかし、当時は水着アリスの闇浮遊がオンリーワンの個性であり、将来的に化ける可能性を感じたからです」

 

「しかし、あなたの予想は外れ、水着アリスは、実装から今まで、表舞台ではあまり活躍していませんね。いわゆる趣味パーティではよく見かけますが……。では、2人目に天井したキャラクターを述べなさい」

 

エミリアた……。エミリアです」

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エミリアですか。『Re:ゼロから始める異世界生活』とのコラボの際に実装されたキャラクターですね。このコラボは、レムの強さが注目されましたね。レムのことをJINKENと騒ぐプレイヤーも少なくありませんでした」

 

「はい。JINKENのレムはガチャで運よく出たのですが、エミリアは出ませんでした。なので、天井を……。コラボキャラは、再登場する機会がないかもしれませんし、エミリアはなかなか面白い性能をしていましたので」

 

「なるほど、復刻する可能性が低そうだから天井した、と。話は変わりますが、あなたは『ゾンビランドサガ』コラボのキャラをコンプリートしていますか?こちらも、アニメとのコラボです」


「それは」

 

「『ゾンビランドサガ』のメンバーたちもコラボキャラクターですが。どうしてコンプリートしていないのでしょうか。実装された当時、性能的には騒がれませんでしたが、あなたの言うオンリーワンの個性を備えていたように思います」

 

「『ゾンビランドサガ』はCygamesのコンテンツなので、また復刻があるかと思いまして」

 

「一度復刻されましたよね。あなたはそこでコンプリートしたのですか?」

 

「いえ。まさ……、星川リリィが……、いません」

 

「天井をすればコンプリートできたわけですよね。星川リリィもあなたのいう、面白い性能のキャラクターではあると思うのですが。あなたは本当に、エミリア、そして水着アリスの将来性を見て天井したのですか?私には……」

 

「やめてください!!!!!!!おれはっ……、おれは……」

 

「なんでしょう。正直に答えてください」

 

「おれはエミリアたんが好きなのです。レムではなく、エミリア派なのです!EMTなんだよ!ガチャを引いているときに、エミリアたんのすごーく、すごーく好きよという声がどこからともなく聞こえてきて、気がついたら天井していたんだよ!」

 

「水着アリスについては」

 

「正直このゲームで一番かわいいキャラクターだと思っています。ドット風表現で描かれるストーリーは『ワールドフリッパー』の見どころのひとつですが、アリスのものは彼女の性格の深いところをちらちら見せてきて、最高にいいんですよ」

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 「だから、天井したと」

 

「はい」

 

「三人目に天井したキャラクターは誰ですか」

 

「それは、涼宮ハルヒです」

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「今開催中のコラボですね。涼宮ハルヒを天井した理由を述べなさい」

 

「みくると長門と小泉はガチャで運よく出て、ハルヒだけがいなかったからです」

 

ハルヒ、みくる、長門。あなたがこの3人の中で一番好きなキャラは」

 

ハルヒです」自分でも驚くほど、消え入りそうな声が発せられていた。

 

「よくわかりました」

 

「あなたは、自分の欲望に従い、可愛いと思うキャラクターを天井してきたのですね。それなのにあなたはJINKEN、JINKENと騒ぎ立て、さもJINKENを天井しなければならないというような空気を煽っていたと」

 

「恥ずかしい話ですが、そういうことになります」

 

「なぜそんなことを」

 

「私がアニバーサリーレジスやクリスマスビアンカを持たないがために味わった苦しみを……。誰かに知ってほしくて」

 

「あなたはその苦しみを味わいながらも、『ワールドフリッパー』を続けている。あなたのワーフリ人生は幸せなのでしょうか。この部屋を出て、現実に帰れば、アニバーサリーレジス、クリスマスビアンカおりゃん煽りが待っている可能性もあります。あなたはそれに耐えられるのですか」

 

「JINKENがいなくても、おれには水着アリスが、エミリアが、涼宮ハルヒがいます」

 

「最後にお聞きします。アニバーサリーレジスも、クリスマスビアンカも実装直後から一部界隈ではJINKENと言われていたと思いますが、どうして天井しなかったのでしょうか」

 

「男のロボと色気のあるお姉さん。どちらも僕には刺さらないからです」

「そうですか。あなたのワーフリライフに幸あらんことを」

虹色の玉は途端に輝きをなくし、地面にぽとりと落ち、スマートフォンへと姿を変えた。スマートフォンを手にした瞬間、炭酸飲料のプルタブを開けたときのような爽快な音が鳴り、周囲の白い壁に亀裂が入っていく。壁の亀裂から湿った熱い空気が流れ込んできて、身体の感覚が覚醒していく。僕は帰るのだろう。アニバーサリーレジスも、クリスマスビアンカもいないあの夏に。バレンタインエリヤも、アニバーサリーフィリアもいない『ワールドフリッパー』に。アニバ―サリーフィリアが実装されたとき、おれの仲間たちは言った。「面白いキャラだけど出番はあんまりないかもなあ。ワンパンならほかのキャラでいいし」。バレンタインエリヤのときは確か「これはキャラ愛で引くやつだよな」とか言ってたっけ。それがいまやどうだ。水着リリスとセットできらきらと輝いている。本当に許せない。

『ワールドフリッパー』から逃げるな。